ふと…
本当にふと思い出した光景
息子が保育園のとき
耳鼻科に連れて行った
その先生は息子に
「何才なの?」
と聞いた
すぐに答えない息子、なので私は
「いま年長です」
すると先生はこう言った
「いまこの子と話してるから、お母さんは黙ってて」
「………」
私は、恥ずかしいような、何とも言えない気持ちで黙った
その先生は、しっかりと息子と目を合わせて
「何才なの?」
「…6才」
「そうか、年長さんやなあ」
診察を終えて、先生は私に、中耳炎であることや、膿を出すための治療をすることを話した
そしてまた息子にしっかり向き合うと
「いまから話すこと、聞いて」
そして分かりやすい言葉を選んでどんな状態なのか話した後
「先生は、ちょっとだけ耳の奥を突っつくよ。ちょっと痛いかもしれん。だけどほんの一瞬で終わる。動いたりせずにちょっと辛抱できるか」
息子はひきつった顔をしながらも、うんと首を縦に振った
看護師さんたちも一応は息子の身体をおさえていたけれど
息子は暴れるようなこともなく…
無事に治療を終えた。
「よくがんばったな」
その先生はそう言って息子を褒めてくれた
涙目の息子は、それでも少し誇らしそうに見えた
その後その病院にかかるとき私は
先生が子供と話すとき、黙ってみている母親になった
相手を尊重する関わり方
コーチングプラットフォーム認定コーチの日下部亜希子です。
ああ、あれはコーチング的な関わり方だったなあ
といまふと思い出したのです。
相手が子供であっても、ひとりの人間として丁寧に関わろうとする先生の姿がとても印象に残っています。
息子も、先生が目を見て真剣に話してくれた、尊重されていると思えたから、自分から我慢できたのでしょう。
でも、私ときたら、また怒られるから、という理由でその先生の前では黙っていましたが
他の場面では、やっぱり子供の代わりに口を出す母親でした。
子供が答えられないだろう、と勝手に決めつけていたし
時間がかかるとイライラしてしまっていたし
相手の時間をとらせず、さっと答えなければ!気が利かない母親だと思われたくない!というのもありました。
子供のことは親がコントロールするものだ、とけっこう本気で思っていました。

娘はとくにゆっくり考える子だったので
せっかちな私は、娘がなにか決める時など待ってられず
「もう、こっちでいいんじゃない?」とつい言ってしまい
娘は納得いかない表情でなにも言わなくなる、ということがよくありました。
こんなことがきっと続いたのでしょう。母に自覚がないけれど。
娘は小学校高学年の頃には、どっちにする?という問いに
「どっちでもいい、お母さん決めて」
考えることを諦めてしまうようになり、さすがにまずいな、、、と反省したのです。
運よくその頃、子供に関わるときのことが書かれたコーチングの本に出会い、目からウロコがボロボロ落ちました。
子供に考えさせることの大切さなんて、まったく理解していませんでした
私は、いかに「私が」やりやすいように子供をコントロールするかばかり考えていました。
ものごとを決めることをさっとできる人と、ゆっくり考えてやりたい人がいるなんて、本当にびっくりしました。
その後、娘になにか決めてもらうときは、
「ゆっくりでいいから考えといてね」と余裕をもてるようになり
そうすると娘はちゃんと答えを出せるのだ、と分かりました。

それでも私の中に無意識に住み着いている「コントロールしなければ!」という言動は、ついつい顔を出します。
「子供の話をよく聞きましょう」子育て本でよくいう言葉を見るたび
聞いてるよ?でも、せっかく楽しく会話したいと思ってるのに、子供が話してくれないんだもん。
どうしたらいいの?
そして、段々大きくなっていく子供たちとすれ違っていきました。
そりゃあ、何か話をしてもジャッジばかりで、こうしたらいい、と上から押し付けてくる大人となんか話したくないですよね。
でもその頃の私は、話を聞いたらまず、いいか悪いか相手の代わりに判断して、相手のためになる「いいこと」を言ってあげなくてはならない、と思っていたのです。
こんなにあなたのためを思って言ってあげてるのに!という具合でした。
子供とコミュニケーションがとれなくて、いつもモヤモヤしていました。
楽しく話したいと思っているのに、どんどん空回りしてしまう。
うまくいかないことばかりに思えて自分を責めて、相手を責めていました。
とても苦しかった。
このままではダメだ!なんとかしたい!
そんなとき頭に思い浮かんだのは「コーチング」
コーチをつけてセッションを重ね
そして
このコーチングプラットフォームに出会いました。

「傾聴」を学ぶ
「傾聴」ジャッジ(否定や評価)しないで、フラットに話を聴く
この学びは本当に苦手で、なにが聴けていてなにが聴けてないのだろう?と頭が混乱していました。
相手の話が最後まで終わらないうちから言葉をはさむところを宿題セッションでよく注意されました。
言葉はもちろん、言葉になっていない思いを、相手の表情や声のトーンやしぐさなどにも注意を払って聴くことを勉強しましたが、実際できているのかどうなのかいつも頭を悩ませていました。
つかめない空気を一生懸命つかもうとして空振りする感じです。
つい最近も「あ~私って本当に聴けてないな」とがっかりしたのですが
「それに気づけたことがすごいよね」
先輩コーチからそんな承認をいただきました。
確かに前は、できていないことにすら気付いていなかったのですから、なんとかうまくなりたいと学び続けている自分も捨てたものではないな!と思いなおしました。
22才と20才、大人になったわが子たちの話を「聴く」
つい色々言いたくなるのをいったん脇に置いて、子供の話をそのまままず受け止める、そして興味を持って聴く、ということに気をつけるようになりました。
それは、音楽教室の仕事にもとても生かされています。
ふと思い出した、あの日の光景は
私に「聴く」というコミュニケーションを見直させてくれたのかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
私が学んだ、コーチングプラットフォームのFBC講座では
コーチングスキルはもとより、自己基盤(ファウンデーション)を学ぶことをベースに、自分自身の土台の整えることに重きを置いています。
ぜひ一緒に学びませんか?