私は時短勤務で働くワーママです。
そんな私には誰に言われたわけでもないのに自分に課していたマイルールがありました。
それはどんな時でも夕飯は、一汁三菜をそろえること。
繁忙期にはなかなか時間通りに終えられず、残業してしまうこともしばしばですが、
残業でクタクタの自分に鞭をうって、必ず一汁三菜を食卓に出します。

食事以外にも、その後のお風呂や寝かしつけまでいつもと同じようにきっちりこなそうとします。
でも家族が協力しくれなかったり、なかなか動いてくれなかったりするとイライラしてしまいます。
どうしても一汁三菜を用意できなかった時、家族はちっとも気にしていないのに
「手抜きするなんて・・・」と私が自分自身を許せないでいます。

そのことをコーチや仲間へ何の気なしに話をしました。
「ストレングスTOP5の「規律性」が悪い方向に発揮されてる」
「相手をコントロールしようとしてはいけない」
「マイルールを変えることによる、変化やリスクが怖くて、結局変えられないんだと思う」

ぐさっ。悪い方向?コントロールしてる?!

正直、「そんなに頑張らないで」くらいの優しい言葉を期待していた部分があったのかもしれません。
思わぬ方向からガツンと、目が醒めるようなフィードバックでした。

このフィードバックが、数日頭を占拠していたのですが、ふと気がつきました。
私にとってこのマイルールを変えることが、
「母」として「妻」としての役割を放棄しているような
無責任で楽に流れてる行動に思えていたのです。

ここで思い出したのが母親のこと。
毎日欠かさず一汁三菜が食卓に並び、
辛い日も温かいごはんを食べながら母と話していたらホッとした。
私も母親になったらこんなふうに家族を支えたい、理想としていました。

でも一汁三菜が並んでいることが重要だったんじゃなくて、
その日あった嬉しかったことやしんどかったこと、
いろんな話に耳を傾けてくれたことが私の支えになっていたんだと気づきました。

”マイルールがあるから得られているものもあるけれど、苦しいなら解き放つことも選択”
コーチングプラットフォームでの学びの中で、印象に残っている言葉です。
一汁三菜にこだわるあまり、余裕がなくなってイライラしてしまうのなら、
母は母、私は私のやり方で家族といい関係性を築いていけばいいんだ。
私はどうありたいのか、そんなことを考えるきっかけになりました。

そしてもう一点気づいたことがあります。
それは、自分の身体に鞭をうっているのに、
「まだまだ、もっと頑張らないと」「私なんか」とつい思ってしまうこと。
自分を犠牲にしていないと、私には価値がない、そう思う自分がいました。
そういった思考が、この件に限らずいろんな場面で表れていることを自覚しました。

”私なんか”とつい思ってしまうんだとコーチにポロッと漏らしたら
「何度だって否定してあげる」
”また言ってるって情けないなと思ってしまう”といったら
「また気づけてよかったじゃんって言ってあげるよ」

何と心強いことか。
コーチが一緒に伴走してくれるということ。
私のことを「知ってくれている」「応援してくれる」人がいる
それだけでとても心強くて、前に進む勇気をもらえます。

私もそんなコーチでありたい。
コーチングプラットフォームでの出会いと学びがあったからこそ得られた目標です。

コーチングやファウンデーションに興味を持たれている方のきっかけになればいいなと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。