こんにちは。コーチングプラットフォーム認定コーチの三谷千花です。

今までずいぶん長い間、考えたり、コーチングセッションでテーマに取り上げてもなかなかわからなかった「幸せだと言うことへのためらい」について書きたいと思います。ようやく出口が見えました。

私は、今、とても幸せです。ファウンデーションを学び、取り組んできたおかげだと言えます。なのに、「私は幸せです」と言うことにためらいがありました。なにか後ろめたさを感じるのです。
過去、やりたいことはやった、すべてやり切ったと言える、そして今本当に幸せだと思えるのに。

自分で考えても、コーチングセッションで取り上げても、結論は「幸せなら言ってもいいじゃない」でした。頭ではわかっても、後ろめたさは消えませんでした。

ためらう理由を考えると、若い人たちやがんばっている人たちに、小さくまとまった幸せを見せてはいけない、士気に悪影響を及ぼしかねないから、とか、以前走っていた頃の自分が、今の自分を見たらひどい言葉を言ったかもしれず、そのように言われて傷つくのを避けているのかもしれない、などが出てきます。たしかにそれも理由かもしれませんが、すっきりしません。

そんな折、3日間の自己基盤ワークショップに参加する機会があり、これを扱おうと思いました。幸せだ、と言うことを止めるものは何なのか。

前の晩か、当日の朝だったか、ふと、思いました。たしかに過去、一所懸命やったし、やりきったと言えるけれど、自分が思ったような結果を得られたか?

例えは若干飛躍しますが、オリンピックに出ようと自分なりにたいへんなトレーニングをして、やれることはすべてやったと言えるものの、結果、オリンピックに出ることはできなかった、という感じでしょうか。

幸せだ、と言うことにためらいがあったのは、この努力したけれど手に入らなかったものへの思いがあるからではないか、と思いました。認められなかった悔しさや、もっとがんばれなかったのかという自分への残念な気持ち、等々。

ワークショップで、参加の目的を話したとき、このことを口にしてみたら、体に浸み透るのがわかりました。ああ、悔しかったんだな、と。そして、この自分の思いが認識できたときから、ためらいが少しずつ薄れていくような気がしています。ワークショップで、人に聴いてもらって、自分でも受け入れられるようになったのだと思います。

ファウンデーションは、気付く、向き合う、取り組む。
気付くことが、痛くて、こわくて、見たくなかった。
気付いたときの痛みに耐えられるようになるまで、長い時間をかけて、ゆっくりと準備をしたように思います。

ファウンデーションを学び、取り組んで、幸せになったと思ったら、まだ先がありました。なかなか手ごわいですが、興味は尽きず、手にした静かで穏やかな日々を送りながら、ファウンデーションに取り組んでいます。