コーチングプラットフォーム認定コーチの後藤 良子(ごとう りょうこ)です。

「とらわれ」てる事は何ですか?

私にあったもの、女たるもの・嫁たるもの・妻たるもの・母たるもの・祖母たるもの・社会人たるもの・サービス管理者たるもの・コーチたるもの・・・まだまだ出て来そうです。

私はこれまでコーチングを学びマイコーチをつけセッションしていく中で、とらわれていたことが緩んだり、まだまだとらわれて居たりしてますがとらわれが緩んだ経験をお伝えしたいと思います。

私は7年前、2ヶ月に1回2泊3日でコーチングを学びに岡山へ行っていました。

大分の田舎のおばちゃん(ここでもとらわれ!)が、都会の人(エリート人ここでも出てます!)と一緒に学んでついていけるのだろうか、都会では使えるスキルだけど田舎では通用しないスキルとも思っていました。2ヶ月毎に2泊3日家を空ける事も、妻として時には母として祖母としてしないといけないことを放棄している気がしてとっても後ろめたい気持ちでした。始めの頃は、三日分の食事も作りストックして帰宅した深夜に洗濯・掃除したりと穴埋めをしなければと思っていました。何度か岡山の学びを続けていた時です、帰宅したら冷蔵庫にストックした食事が残っていたことがあり、家族へ「食べなかったの?」「なんで食べてないの」「なにを食べたの」「忙しい中、作って行ったのに」と私はここまでしてますよっと言ってました。家族からは何も言われる事はなかったのですが、しばらくは関係性は悪かったです。

マイコーチとセッションので、せっかく作って置いた食事を食べていなかったことをセッショで話したときに、家族からそこまで求められていたのか?誰からも作って行って欲しいといわれた事はありませんでした。もっと言うと、帰ってくる日にはお惣菜を私の分まで買ってきてくれてたりもしてくれてました。これは、しなくてもよいのかも?でも、全てを手放すには不安があったので、ステップを踏んでみようと思いました。ステップ1として、食事は作らないけど直ぐに作れる味付きのお肉やレトルトものをストックして説明だけしてしばらくは岡山へ行きました。ステップ2として私から準備万端にはしない。家族から何も言われませんでした。

自分が勝手に、○○だからしなければ。役に立たない私は・・と。とらわれで動いているときは、相手からの感謝の言葉などの見返りを待っていた気がします。自分がやりたくて好きで同じことをしたら見返りも求めないし自分が満たされた感覚のようにあります。

とらわれで動いて、一人で怒ってることありませんか?

コーチングプラットフォームでコーチングやファウンデーションを学ぶと意識が変わるかもしれませんよ!ご一緒できる事を楽しみにしています。