皆さんにとって食事とはどんなものですか?
  空腹を満たすもの? 
  身体に必要な栄養を摂るためのもの?
  楽しみ?
  幸せを感じるもの?
  面倒なもの?
人によってその捉え方も異なります。
今日は、ラジオから聞こえてきた食事に関するメールから、私自身の中にある様々な「思い込み」に気付いた話をしたいと思います。

ある日、車の運転をしながら聞いていたラジオから、こんな言葉が飛び込んできました。
「私は今年結婚50年、金婚式を迎える主婦です。料理は好きで今までずっと食事を作ってきましたが、ある日あることに気が付きました。夫は50年間、一度も私の手料理をほめてくれたことがありません。美味しい、と言ってくれたことがないのです。それに気付くと料理をするのが馬鹿馬鹿しくなって、やーめた!とやめてしまいました。今はお惣菜やお弁当を買って毎日過ごしています。もう掃除もやめちゃおうかな?」

「やーめた!」があまりにすがすがしくて、耳に残りました。
そして「気付いて良かったね」と同時に「どうしてやめられるの?」と思いました。
このメールからは、ご主人の反応は分かりませんが、お惣菜やお弁当を買って過ごしている、ということなので、きっとご主人は不満に思っていないのでしょう。
ご主人にとって、食事に奥さんが手間や時間をかけていることや美味しさはあまり重要ではなかったのかもしれません。
だから、「それに気付けて良かったね」と思ったのですが、それには理由があります。
私も最近、似たような体験をしたからです。

夫はメールのご主人とは違い、「美味しい!」と言ってニコニコと食べてくれます。その様子に、私は今までずっと私が作ったものが美味しいのだと勝手に思い込んでいました。
なので、時間がタイトだったり、どんなに疲れていても、出来るだけ作るよう頑張ってきました。

が、ある時夫に「疲れているんだったら外食でいいんじゃない?」と言われ、またある時は、手作りを諦めて買ってきた餃子を焼いて出したら、「美味しい!これで十分!」と言われました。

その時気付いたのです。
「手作り」に拘っていたのは私だけで、夫は美味しいと思えれば、外食でも買ってきたものでも、何でも良かったんだ、と。
そう分かると気が楽になって、手抜いても大丈夫!と思えたのですが、それでも私は、メールの奥さんとは違い「やーめた!」とはならないのです。
やっぱり手間をかけて作ることに意味があるような気がして、「私は料理が好きで、その過程が楽しいし夢中になれるから」と自分に言い聞かせている、そんな気持ちになりました。

なんとなく腑に落ちなくて、コーチとのセッションでもそのことについて話してみました。
「料理がやめられない、その裏側にどんな思いが隠れているか?」そのことについて考えてみると・・   
   主婦たるもの料理は当たり前
   なんでもよくできる妻でいたい
   頑張っていることをほめてもらいたい
   料理が上手と思われたい
など、色々な想いが沸き上がってくる中、ふっとある言葉が浮かんできました。

   【易きに流れる】
楽で安易な方へと流れてしまう性質を意味する表現

そういえば、子供の頃からさんざん言われてきました、「易きに流れてはいけない」と。「易きに流れる」のは安直に楽を選ぶ悪いことだと教えられてきました。

そうだ!料理の手を抜くのは「易きに流れている」と思っている私がいる!

そこに気が付くと、何故かほっとした気持ちになり、そして思いました。

易きに流れているんじゃない、自分を大事にしたいんだ!と。

メールの奥さんのようにやめてしまわなくても、時間があって料理を楽しみたい時はやる、疲れていたり時間のない時は手を抜く・・
自分の気持ちを大切に扱えると、もっと食事も人生も楽しくなるのではないか?そんな風に思えました。

FBC(ファウンデーション ベースド コーチング)では、コーチングのスキルだけではなく、自身の根幹であるファウンデーションについても学んでいきます。その中で、今まで気付かなかったたくさんの「自分」に出会い、向き合うことで自分自身が進化していく・・そんな体験がきっとできると思います。
一緒に学んでみませんか?