「悔いても、悔いても、悔やみきれないもの」、何て暗い副題の中身でしょう。

しかし、私には、大きな後悔があります。
もう30年以上も前のことです。
「子供には、よい言葉、ほめる言葉をシャワーのように降り注ごう!」
多くの育児書がうたっていました。
それができたら苦労はしないと言わんばかりに、育児書とは真逆の言葉を私は降り注いでいたように思います。
一生懸命お手伝いをしてくれて、小さな手には重すぎるお皿を落としてしまったとき、
「大丈夫?」「けがはなかった?」という代わりに、
「また失敗!」「どうしてちゃんとできないの」「ほらごらん」・・・。
即座に出る言葉は、追い込む言葉ばかりでした。
これらの言葉は、役目を終えた後、
繰り返し発した私のところに戻ってきました。
ふいに訪れるこだまとなって、長い間住み続けることになったのです。

「許してくれる?」
30年経って娘にようやく伝えました。
「覚えてない」
返ってきたのは、奇跡のような言葉でした。
過去を謝罪する私の言葉をまず、受入れてくれました。
そして、「許す」、「許さない」の答えではなく、
「覚えていない」という彼女にとっての事実だけ返してくれたのです。
その後、
「そんなことがあったの?」
と、興味を示す言葉が、さらに私を救ってくれました。
ずっと抱えていたしぶとい塊のような後悔が
白日の下に晒され、
直射日光を浴びて、
そして、
溶けていきました。
娘と向き合うきっかけをくれたものはコーチングです。
こだまと化して住み着いた言葉に、がんじがらめにされていた私の姿が、コーチのフィードバックを通して見えてきました。
「とらわれ」の姿です。
子どもを追い込んだ言葉が、いつまでも私を「後悔」に縛りつけ、
そして私は、その言葉を手放せずにいたのです。
とらわれから解放されるためには、その言葉を「供養する」必要がありました。
言葉と、その言葉を届け続けた娘と「向き合う」ことです。
「前に進みたいのになかなか進めない」
ブレーキを踏みながら、アクセルを踏んでいる矛盾を感じたら、
それは、自分の中にぬくぬく存在する「とらわれ」を見つけ、向き合うチャンスです。
あなたの中に向き合う力があることを、しっかり見せてくれるコーチングを通して、とらわれを手放してみませんか。