コーチングプラットフォーム認定コーチの本間 季里(ほんま きり)です。

ファンデーションコースのなかで、はじめに衝撃を受けたのが、「とらわれに向き合う」ということでした。ここでいうとらわれとは、気になっていること、仕方がないとあきらめていること、こうでなければと思いこんでいることなどなどです。

私は社会人になってから、いつも膨大な「やることリスト」を書いて自分を鼓舞していました。しかし、実際には毎週たくさんのやることリストを翌週に単に書き写したり、スケジュール帳のやろうと決めた枠に書き込んだりしては、それを先延ばしにして「あ〜あ」とため息をつき、その都度「自分はなんてだめな人間なんだろう」とどんよりしていたのです。

講座の中で、「とらわれに向き合う」という話を聞きながら、これまでずっと気分がどこかどんよりとしていたのは、自分の気がかりなことをそのまま未完了にしているからだと気づきました。

まあ、そう気づいたからと言って、サクサクとやることリストを完了させていけるかというと、人間はそんなに簡単なものではないのですが、それでも、そういうからくりなんだと自覚できるだけでも大きな一歩!

以後、まず、本当にやるべきことか?を検討し直して、本当にやるべきことに厳選することもできましたし、ざっくり大きなククリのままのものはタスクを小分けにすることで負担を減らすということもできるようになりました。

なにより、どんよりした気分のときに「気がかりなことを抱えていない??」と自分に問いかけられるようにもなりました。

さて、私は今、数年がかりの囚われと向き合っています。そう、実家の片付け問題です!!両親亡き後の実家をどうするか?ここ数年の気がかりの一つでした。自分が住むのか、別荘の位置づけにするのか、それとも手放すのか?そんなとき、コロナ禍でリモートワークが増え、実家で仕事をすることも多くなって気づいたちょっとした心地良さ。でも、毎日、庭に所狭しと枝を広げている木々や元気もりもりな雑草たちを見て、部屋の中から「どうしよう」とため息をつく毎日でした。

「両親が大事にしていたものなんだし、そのまま大事にしなくちゃいけないよな?」漫然とそう思ってきたのですが、ある日、「それ、本当かな?私の思い込みかもしれないな」と思いました。もしかしたら、両親もこの庭をどうしたら良いのかわからず困っていたのかもしれない、本当は庭もリフォームしたいと思っていたのかもしれない。自分の思い込みに気づいた瞬間でした。

そして紆余曲折あって、今、庭のリフォーム中です。私が幸せな気持ちで庭を眺め、庭を楽しんで暮らすことこそが、亡くなった人たちも喜んでくれることのはず。囚われと向き合って出た結論です。